最難関私立大学といえば、早稲田大学・慶應義塾大学の「早慶」を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。
今回はそんな最難関私立大学のうち、早稲田大学の何が難しいのかについて、日本史的観点からご説明しようかと思います。
(受験生は夏休みの勉強をどのように進めていけば合格に近づけるのかの参考にしてもらえればと思います)
早稲田大学は大隈重信が創立した大学であり、その影響もあってか政治経済学部では偏差値70(河合塾調べ)の学科もあるくらいの難関大学です。
一口に「難しい」といっても、結局何が難しいのでしょうか?
今回は一般的に「暗記すれば解ける」と言われることもある、日本史を使って紹介できればと思います。
以下は、2006年の早稲田大学教育学部の入試問題です。
早稲田大学教育学部2006年
ここから問題
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A (前略)大使等が人物に親炙して刺戟を被れるはビスマルクに優れるは無し。新勝国を背景にし,容貌魁偉,一見して其の英傑たるを知る。皆な各々感服せる中,( a )が特に暗示を得たり。英米の自由制度を解するが如く解せざるが如く,仏の共和制を布きつつ,尚ほ大統領チエルが鎮圧に成功せるを聞き,白蘭二小国を通過し,新興国なる独逸帝国にビスマルクが鉄腕を揮ふを目撃し,新たに国家を経営するは彼の如くならざるべからずと頷く。(三宅雪嶺『同時代史』)
問1 ( a )に該当する人物は,次のうちどれか。
ア 岩倉具視 イ 大隈重信 ウ 山県有朋 エ 大久保利通 オ 板垣退助
問2 Aの文中に書かれていることがらは,何年のことか。
ア 1860年 イ 1867年 ウ 1871年 エ 1873年 オ 1878年
問3 Aに記されている「大使等」一行の記録は編纂・刊行されているが,その文献名を感じで記せ。
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ここまで問題
以下が、解答・解説です。
まず問1ですが、答えは「エ 大久保利通」です。
資料が岩倉使節団に関するものとわかっても、岩倉か大久保で悩んでしまうだろう。ヒントとして「ビスマルク(独)」があるが、受験生レベルだと流石に知らない人も多いかと思う。
滞欧中に日本国家の模範にしようと国家の統制力の強いプロシアであることはご存知の通りで、そのプロシアを切りまわししていたのがビスマルクである。当時、ビスマルクの官邸における招宴で感動を受けたのが大久保利通と伊藤博文の二人であるのだが、のちに大久保はプロシア風の政体を取り入れ、内務省を創設した。内務省(1873)を覚えるにあたって「言論思想取締・労働運動弾圧」をきちんと覚えていると、それもヒントになったかもしれない。
次に問2ですが、答えは「エ 1873年」です。
山川出版社の『日本史B用語集』を見てみると、年号については「1871~73年岩倉使節団の見聞記録」としか書いていない。また、岩倉使節団についても1871年に派遣され、1873年に帰国したとしか年号に関する記述がないため、単純な暗記では対応が難しかったと思います。
ただ、岩倉使節団は1871年12月~1873年9月まで派遣されており、月まで細かく覚えていなても、1871年の出来事が時系列準に覚えていれば1871年の最後の方のできごとであると推察できる。であれば、その時期にこのような事柄に至ると考えるよりも、帰国段階の時にこのような事柄に至ったと考える方が自然である。知識として解ける問題ではないが、知識として得ている情報を整理すれば解答は可能です。
最後に問3ですが、答えは「米欧回覧実記」です。
今回の問題の中では一番解きやすい問題だと思います。問1や問2がヒントとなり、ある程度年号や関連用語が絞れると思います。また用語自体もマニアックなものではなく、通常の日本史の勉強で出てくる用語ですので、しっかりと身についていれば十分解答可能な問題です。もし覚えていなかった人は「久米邦武により編纂された米欧回覧実記」と覚えておきましょう。
いかがでしょうか?受験生でも解けなかった人は多いと思いますが、この問題は悪問なのかと言うと決してそうではありません。日々の勉強で覚えるべき必要十分な用語を覚え、論理的に問題を解き進めていけば十分解けるレベルであると考えています。もちろん、これが解けなくても基本問題を取りこぼさず、英国でも相応の点数を取ることで合格は可能ですが、日本史受験生としては是非とも解けてほしい問題です。
この問題を通して受験生の方、あるいはいずれ大学入試を受験する方に知っておいていただきたいのは、日本史の対策は決して日本史の対策だけでは成立しないということです。今回の問題を知識で解ける人はそう多くありません。先に述べたように、用語集レベルでも載っていない、あるいは確定的な判別が難しいような問題です。これらの問題を解くためには、問題文や設問文からヒントを読み取り、論理的思考を働かせて解くという力が必要です。これは日本史でもありますが、現代文で養われるべき力です。日本史の対策をとにかく暗記であると割り切っている人に対して、暗記も大事ですが、解けるようになるには現代文の対策も必要ですよと、この問題を通してお伝えできれば幸いです。
ちなみにAの資料文は1928(昭和3)年に発表した「同時代観」(『我観』第54号)で述べられています。今回は1949年から発刊された『同時代史』(岩波書店)から抜き出していますね。
もし、この問題について取り扱って欲しいなど要望がございましたら、コメント欄がないのでお問い合わせ等でお気軽に仰ってください。
それでは、また次回。